情熱大陸面白かったが、伯山ティービーがめっぽう面白い
TVerってすげーっすね。伯山回の情熱大陸を見ました。自宅の稽古場のところとか、ノートを100回音読するくだりとか。めちゃいい。
でもYoutubeの方が面白いっていうか、素材!撮って出し!ってもう最高じゃないですか。見せる方のリスクみたいなところはあるんでしょうけど。口上で並んでるときなのに楽屋トークの続きしてて、もう最高っていう。
古典と新作のバランスってあるじゃないですか。よくNetflixで昔の水曜どうでしょうをダラダラ流すんですけど、あれはもうClassicで、なんだろ、指名してる時点で、ビデオオンデマンドの自分デマンドは、もう古典的なんですよ。
新作的、事故的な出会いって、現場、フェス、放送のリアルタイム、余白のある受け身の時間にこそあるんですよね。当たり前のことですけど。そういうの最近足りてないと。新聞でも読んだらいいのかな。あとあれか。雑誌。雑誌なんてずいぶん読んでないっすね。ラジオが雑誌みたいなもんなので。雑誌を読むのは喫茶店。喫茶店にもあまり行ってないな。
なんだろ、最近ほんと無駄な時間が多くっていけない、時間を大切に使いたい。
2月3日以来酒を飲んでないため、深夜に酔っぱらっている時間や、風呂で寝落ちする時間は減ったかもしれない。これは良いことだ。
なんだろ、話し戻ると、自分が働いている職場を、動画におさめること想像したら、なんかもう自分の仕事がぜんぜん大陸でもないし、情熱もない。むしろ育児とか家事のときの方が果てしがない大陸を冒険しているよ。
大陸でないから情熱がないのか、逆に情熱がなさすぎて大陸じゃない小島で暮らすことになったのか。後者だよね多分。なんかさ、Facebook見てると、大陸やら情熱やらでタイムラインがみちみちている感じが辛い。
きっと、正論的には、自分のおる環境がどうとか価値判断を下すよりもまず、とにかく掃除をして、身体を動かしてバリューを生み出すが吉。
でも、なんていうか、単純作業の机仕事は、脳の何割か、たとえば姿勢を制御する分野なんかが圧倒的にサボっていて、社会的には労働で価値を生じる活動であっても、自分的にあんまりやった感が得にくいんだわ。そのギャップがなー。なんだろ、運動不足なんだろうかしら。筋肉が「もっと使え」と囁いているのか。
『ジョーカー』感想
劇中に出てくるアメリカンジョークで、
女子が男子を見定めるのは「この先のパートナーとしてどのくらい信頼性があるか」がさながらクルマを買いにきた客のようであり、男子のそれは駐車場ってやつ。
それがリフレインっていうか、本当にそう。ウェインの会社の社章をつけた3人組のあいつらがやってることは、たまたまそこにいた人にちょっかい出すし、ジョーカーの恋慕も、たまたまそこにいたっていうだけ。ウェインの野郎の真相は藪の中だけど、結局あの写真の裏の描写とかわざわざ入れてるしなぁ。
好きか嫌いかでいったら、BGMの入れ方がおしゃれじゃないし、言いたいところはなくはない。自己憐憫、ヒロイックな主人公へのアレルギーも込みで、でも劇場でウォッチしないと味わいが不足する映画。画作りを味わうべき。2時間集中してジョーカーの狂気に、劇場の暗闇の力を借りて寄り添わないと面白くもなんともないぞこれ。
記録すること
登ったフロアの階数が増えるのが楽しくなる。
これは、いままで可視化されてないものが可視化された、記録が残るようになり、意識と行動が変容したということだ。
であるからして、日記等によって日々のTrackをLogging可視化することで、意識や行動を改善することも期待できる。
毎日続ける(自動化=習慣化する)までがしんどい(ことは経験的予想)。
加えて今回の場合、「同期作業が自動化された」ことにかなり感動している。歩けば即反映される。それが面白い。なれてしまえば行動の変容が元に戻る(ことも経験的予想)かもしれない。
家族がいつもいつもインスタグラムを見ており、目の前で家事をしている自分の手を休ませて投稿を自慢したのにキレて「現実を見ろ」と吠えた件以降、SNSを意識的に断っている。